Past Window 2



 

6、愛する世界 ―― ディスカス水槽のベタ


杉並区/菅野沖彦さん

ある

夏ともいえぬ

なまあたたかい夜に

おれは一人で

瞑想する

この世界のなりたちは

仄かな希望にも似た

この水の匂いのたちこめる

静寂(しじま)の中の親しみは――。

 

ある丘の上に

大きな幹の木があって

揺れる梢に

驚くほどの葉が織り重なって

君はその下に

はるかかなたにまっすぐな視線を送っていた

ただブラウスの腕を

なびく髪にあてたまま

 

ある日、ぼくは眼前のなにか

そう、虫けらにも似た

地べたの殺人事件に心奪われ

うつむいて

背を丸め?

はやしたてるかのような

喧噪の中に夢中になっていた

ふっと気づくと

大きな丘の樹の下から

君が見ている

にこやかにまっすぐなその視線を受けて
ぼくは君を愛していることを知った

 

祖母の話をしよう

あれはぼくが

母に連れられて里帰りした日

「サァ、ナスのなっているのをみにいこうか」

黒いモンペ姿に洗いざらしの手ぬぐいを頭にかぶって

前かがみに歩いていく祖母の後姿を

ぼくは軽いステップを踏みながらついていく

竹に寄ったナスの木に

夕日が黄金色に照り映えて

一瞬、祖母のビンがそのままに光って

驚いたように見上げたぼくの目に

その顔は奥深いシルエットになって

遠くをみつめて微笑んでいた

彼らはいつも

その球形の姿に似合わず
息せききって生き急いでいる

ゴージャスな

彼らの姿がそうみせる

   まだ世界を形づくらず

   まだ恋が終わらず

   まだ荒ぶるままに          

黄金色の時間 



PHOT/ベタ

今日もおれは

天上に住む仙人が

生まれ育った下界を見回るように

ヒドロコチレの葉陰を出て

一日一回

愛する世界をみてまわる

(ベタは一日一回、ほぼ同じ時刻に90p水槽の上縁を一周する……菅野さん談)

 

 

 

 

 


 

水槽 菅野沖彦
撮影 小林道信
文  尾崎 初
『アクアライフ』誌 1986年7月号
ペンギンビレッジ広告より 






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