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追悼 天野尚 -2  リスボン水族館行(4)

                                                                           
ペンギンビレッジ株式会社 代表  尾崎 初(はじめ) 

                   


*筆者尾崎が体調を崩したことにより、続稿がたいへん遅れましたことをお詫びいたします。  
 

C、「水中の森」について                                     

40mネイチャーアクアリウム「水中の森」は、大きな展示スペースに
コの字型に組まれている。

入口はやや高くなっていて、入ると同時にコの字型の水面を含めた
全貌が見渡せる。    


やや暗い中に明るい川が方形に伸びているイメージとしては、夜の空の天の川だろうか。

日常世界からふと見上げたら、そこに天の川が人知れず広がっていた、という別次元の印象に近い。
 

          

明るい光と緑を中心とした水草の色彩が目に飛び込んでくる。

そしてそこにたたえられている大量の透明の水が、長年、この仕事に携わってきたものとしては一番の感動だ。

 
ゆっくりスロープを降りて、水槽に近づく。

入り口近くの水槽は上部がオープンになっていて、水中の森もわたしたちの視線に合わせて、グッと

ボリューム高く、豊かに繁っていて、それがなだらかに下がって、白砂の水底にまで私たちの目線をいざなう。 


そこからいくつかのストーリーが展開していく。

交響楽の旋律のように、水中の森がゆっくり盛り上がり、

波を打ち、遠くの群落が手前に寄ってくるかと思えば、

流木によって飛び跳ね、急降下していく。

緑と赤と黄色と、さらに目を凝らせば深い緑とくすんだ赤と、

暗い翳りとそして輝く金色と。

無限の色相と形の間に、小型の熱帯魚がオタマジャクシ

ならぬ生きた音符のように泳ぎさざめいている。
 


        流れ、


        白砂の底へ


        水草の森が盛り上がり、


        さんざめき、


管理はほぼ完ぺき。フロア内には石造りの長いソファと、中央には小高い丘のような観覧スペースが設けられ、

人はそぞろ歩くだけでなく、思い思いに膝を抱え、寝そべってさえ、40mの水のシンフォニーに聞き入り、魅入る。
 

写真やビデオに比べての実物のインパクトは計り知れない。

「水中の森」の空間に自分が溶け込んで一体になれる。

それぞれがそれぞれのストーリーを「水中の森」の中に紡いでいる。

ひとりがひとりでいて孤独でない、そういう穏やかで幸福といえる

時間。これが天野さんが作った世界。
 


       小高い観覧台に寝そべる人も


       ひかり射す 

 

 

D、「水中の森」管理面

現場の管理はADA社員の吉田さん(24歳)、柴田さん(23歳)の常駐。

いずれも入社3年前後でこれだけの大役を担っている。

特に柴田さんはたまたま非番ということで、夜の食事まで私たちに

付き合ってくれた。
 

おふたりにはいくつかの質問をした。

40m水槽のメンテナンスとしては、なにが大変だろう?

奥行2.5m、深さ1.5mあるから、中に入ってのシュノーケリングがまず

必要という事。

酸素ボンベまでは使わないというが、花壇のように美しく刈り整えた

有茎草のトリミングは、草丈が最大1.5mあるわけだし、底床が白砂

だから、その底のコケやソイルのこぼれに注意を払うにもシュノーケルが必要だ。



      左 吉田さん    右 柴田さん   


ただ立上げ時と違って、いまはほとんどコケも出ないそう。

ボルビチスやミクロソリュウムといった陰性のシダ類も多いが、まずコケやモは見られない。

これは有茎草の持つ高い浄化能力が水を貧栄養にしているだけでなく、ふだん低成長のシダ類が旺盛な成長を示して、コケを寄せつけない様子がみてとれる。

水景全体の光合成の生産量がある限度を越えると、高光量下でも

シダ類を十分長期育成できる見事な実例となっている。
また水草は種類や条件によって成長度合いが異なるから、調子が

良くても、トリミングや部分補修等、定期的なメンテナンスを欠かせない。

特に常設の水族館としては、大きな補修箇所を見せるわけにはいかないわけで、みようと思えば見える4〜5箇所の補修箇所が、いずれも一般の方にはまず気づかないプロの配慮によって行なわれていることが、当然ではあるけれど感心する。 


質問に答えてくれる柴田さん 

柴田さんは入社1年で天野さんに見込まれてこの地に赴き、まもなく2年になるという。天野さんの遺訓をいくつか紹介してくれたが、天野さんのイメージを守ってこれだけの水槽を吉田さんとともに維持していることに感服する。

ろ過は地下に設置されている。プール方式の大きなオープンろ過槽にオゾン殺菌とUV。CO2は40m中に3〜4箇所の放出口で間に合うと聞いたが、夜間エアーについては聞き忘れた。

換水はごくわずか。現地の水質は硬度が高過ぎてそのままでは使えず、RO水としているとのこと。
 


           バイオボールを使ったオープンろ過槽



              配管・ポンプ・機器類


 

E、「水中の森」への個人的な感想

入口の小高いスロープの上に立って、40mの「水中の森」を見渡した時、
この瞬間をどのように表現したらいいだろうかと思った。

40m水槽と聞いてはいても、実際にはイメージがよく湧かなかった。

もちろん写真やビデオでみていたが、臨場感はいまひとつ。

そして自分がその現場に立って、写真やビデオで知っていたはずの

水景を実際に目にした時、それはふと見上げた夜空にかかっていた

天の川の印象だった。知っていても、みていても、いま、見上げて、

自分が天空に広がる天の川に蔽われていると気づいた時の、その

一種異次元の感触。それが現実の40mの「水中の森」の世界だった。

これはまったく思いがけない体験だった。

そしてさらに私の心に迫るのは、大量の透明な水が、そこに実在する

ことの感動だった。

少し大げさだけれど、30有余年の間、この仕事に携わり、自分の求めて

きたものはなんだったのか?それを一言でいえば、この大量の透明な

水ではなかったか。

アクアリウムと水草の仕事に携わっての最初の驚きは、水草を植えること

によって、それまでのアクアリウムの水が画期的に透明になることだった。

まるでそこに水がないかのように!

それが水草が光合成をして、水中の養分を吸収した結果であることを知った。

お店の水槽の水がきれいであることを伝え聞いて、あるメーカーの開発部の人が伝導率計をもって、水槽の水の電気伝導率を計りに来たこともあった。    

水草がよく繁ってバランスのとれたアクアリウムの水は、谷川の水に匹敵するきれいさを獲得し、伝導率がそれを証明する。

水草や魚など生きものの量は豊富、高光量で、水温も25℃といった谷川とは大きく違った環境でいながら、谷川の水に劣らない不純物の少なさや透明度を獲得することは、大きな驚きのはずとともに、一種、自然界以上の環境ともいえる。









 


たとえば「水中の森」の個々の水草も、おそらく自然界にある以上に美しい。 
ラージリーフハイグロの光をはらむほどの水中葉の緑は、誰が見ても美しいと感じる。 
でもこれだけの柔和な緑は、その水上葉のたくましさと比べるまでもなく、自然界の中では瞬く間に病虫害にあって、稀にしかそれだけの美しさを持続しないかもしれない。

自然界では生命にとってプラスの要因ばかりでなく、マイナスの要因も働いている。相反する要因の中に生き抜く生命が、現実のたくましい生命であるにしても、マイナス要因をできるだけ排したアクアリウムが、こと美しさに関しては、自然界にある以上の水草の美しさを見せることがあるのは一種当然ではないだろうか。 


ラージリーフハイグロ 

         

そして美しい、ということは、単なる主観ではないにちがいない。その個体や種の持つ本来の生命力が最大限に発揮された時、それはわたしたちにとって美しい、と感じられる。なぜならわたしたちも、同じ生命の世界に棲む一員だから、彼らの“ベスト”を“美しい”と感じることのできる共通の素養を持っているにちがいないからだ。
 

 

だからアクアリウムは水草がただよく繁るだけでは十分でない。

同じ種類や量の水草でも、それが“美しく”レイアウトされた時、それはきっと自然界の理にかなった配植となり、電気伝導率に表れる透明度のように、光合成量や浄化能力といった物理的・化学的なデータも最高レベルに達するのではないだろうか。
そしてレイアウトとしての美しさは、個々の水草の美しさだけでなく、一定の群落や水域としての「環境」といったレベルにまでその及ぼす意味を広げるにちがいない。 

 



自然界にもあまり存在しないかもしれない水草の美しさと透明な水の大量の実在が目の前に広がっていた。

そしていまひとつ、40mはただ大きいというだけの40mではなかった。

私も5mまでの水草水槽は作ったことがあるが、40mは単に5mの8倍ではなかった。

自分の背の高さや、その時に見える視力や視野の範囲や、無意識の呼吸や鼓動や…、といった現実の“身の丈”を基にした臨場感では、40mという大きさは、天空の天の川のように、個人では及びつかない一種自分たちを越えた超越的な広がりを思わせる。

別の言い方をすると、天野さんとスタッフの方々がひとつひとつ手作りで作っていった40m水槽が、「水中の森」として完成すると、それは制作者たちの手を越えて、ひとつの自前の生態系として動き始めている。

ひとつひとつ作られたものが、

完成すればその集合体ではなく、

全体として運動することによって、

逆にひとつひとつがありうるような、

個や部分を越えた存在性格を

見せることがある。ひとつひとつ

の和(合計)では、その全体と

しての運動性格や存在の次元を解釈できないのだ。それは作り手を越えた自律的な生きた運動体となる。


大きいということのリアリティ


             圧倒的な透明度


これ自体は小さなアクアリウムでもそうなのだが、40mといった大きさとして実現されて、はじめてそれは、私たちにとっていままで一度も見たことのない、または想像したこともない大量の透明な水の実在となった。

これだけの大量の(透明な)水は手に負えない! というのが、私にとっては感動そのものだった。


これまでの小さなアクアリウムは、私たちにとっていわば手触りの効く「環境」の一部だったが、40mの「水中の森」は私たちの方がその「環境」の一部になることのようだった。

そしてこの時、わたしたちのいつもの小さなアクアリウムは、自然界に譬えることのできる最良の機会に遭遇したのではないだろうか?

私にはこれまで、心に秘めてきた小さな疑問があった。

日々触れているアクアリウム。そこにおける水草の美しさ、光合成による透明な水の実在。わたしたちはこれを「生態系」といい、「ネイチャー」といい、さまざまに素晴らしい“自然感”を口にしてきたが、ほんとうにそうなのか?

それほどのものなのか? ひょっとしたら単なるオモチャではないのか? ちっぽけな手慰みやごまかしではないのか? ……。

長い間、心のどこかで抱いていたこうした疑念や問掛けが、「水中の森」を見た時、かえって鮮やかに思い起こされ、一気にひとつの回答へと進むのを感じた。

40mの「水中の森」は、水草を主体に織りなす環境が、自然界にも稀なほどの透明な水を日々再生産し続けている。

それは地球外惑星に想定される無機質な水のように、または極寒冷地の水のように、生命がないから水が澄んでいるのではない。大量の生命があるから、水が澄んでいるという逆説にも近い自然界の仕組みを目の当たりにさせている。これは環境維持とか、環境浄化能力とでもいうべき自然界の驚くべきメカニズムの事ではないだろうか。


 


宇宙の散光星雲のような水草の群れ


 

水草を美しく配植し、育成することを目的としたわたしたちのアクアリウムが、それだけに生命にとってのマイナス要因をできるだけ排することと、同時に水の世界をアクアリウムという特定の空間に閉じ込めるという、一種、自然を純化し、制限した形をとることによって、植物としての水草の光合成量の意味やそれに伴う環境浄化能力の効果を表現してきた。

そしてこれはもとより手触りの効くわたしたちの小さなアクアリウムの世界だけの現象ではなかった。

大量の透明な水をたたえた「水中の森」のフロアは、わたしたちを取り巻く「環境」のように厳かで壮大だった。

水草に映える色とりどりの光や、水草から湧き上がる酸素の粒に取り巻かれているというだけではない。大量の透明な水を通して、ここには間違いなく神ならぬ自然界の浄化のメカニズムが純な形で実在しているのではないか。

ここにいたってようやく私には、わたしたちの小さなアクアリウムが、「水中の森」を通して、自然界のメカニズムとパラレルであることの実感とつながった。

つまり「水中の森」が、世界最大の生態系水槽、ネイチャーアクアリウムとして実現されてはじめて、いつものわたしたちの手触りのきく小さなアクアリウムが、自然界の壮大なメカニズムに比すことのできる確信となった。


「水中の森」が天野さんの手を通して作られたということは、

単に天野さんの偉大さを語るだけではない。むしろ天野さんを

はじめとした世界中のアクアリウムファンが、熱心に追及して

きたアクアリウムというものの可能性といったものが、「水中

の森」を通して、すでに可能性ならぬ社会の現実的なあり方と

なったことを示したものだと思う。わたしたちが日々触れている

小さなアクアリウムで培われる技術や理論やセンスが、

40mの「水中の森」を実現し、わたしたちの誰ものアクアリウムが、

「水中の森」を通して、自然界に秘められた驚くべき浄化の

メカニズムに通じる確実な道筋を示してくれた。

惜しむべくはそのことの社会的な評価が、まだ道半ばという  

ことではないだろうか。


 ソイル


 魚や水草の説明パネル


世界の数ある水族館の中で、リスボン水族館の「水中の森」は、もっとも大量な透明な水を日々再生産し、展示している。

水がこれだけ美しいものだということ。これだけ観賞価値があるものだという事。さらには水族館というものが、最終的には何を見せなければならないかということ。あたり前であるようにみえる透明な水が、実はどれほどわたしたち生命あるものにとっての生存の基底をなす自然のメカニズムの驚くべき所在をあらわすものであるか。
 

40mネイチャーアクアリウム「水中の森」は、文字通り、天野さんの遺作、天の(野)川だった。
 

出口付近に設置された天野さんのプロモーションビデオ。
20分くらい。人だかりができていた。

 


      あらためて 天野さんのご冥福をお祈りいたします。



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